知っておきたいフィリピンの歴史

エメラルドグリーン 

フィリピンの独立

スペイン統治に終止符を打ったのは、若き指導者、ホセ・リサールでした。
彼は志半ばにして、スペイン当局に逮捕され処刑されますが、これが契機となって大衆運動へと発展する礎となりました。
その後ホセ・リサールの志を継いで、エミリオ・アギナルドが大衆を率いて運動は激化していきました。

セブの海2 
国民の祝日

当時スペインは、キューバの領有を巡ってアメリカと交戦中であったので、その隙を突いてアギナルドは独立運動を成功させ、独立宣言を成し遂げました。

フィリピン民衆を独立への機運高揚に導いたホセ・リサールとエミリオ・アギナルドは国民の多くの尊敬を集めています。
とくにホセ・リサールは、天才的資質を持った高潔な人柄であったことと、民衆の絶大な支持の下、惜しまれ処刑された。

セブの海 
独立の功績者

その後独立の最大の功績者として、その名を各地の公園(リサールパーク)に冠されました。
また彼が処刑された12月30日が、国民の祝日とされているなど、カリスマ的な尊敬を得ています。

 シュノーケル

苦難の時代

アギナルドにより独立を果たしたものの、フィリピンから手を引いたスペインと、独立を支援したアメリカの間には密約がありました。
それはアメリカが2千万ドルをスペインに払って、フィリピン、メキシコ、グァムの統治権を譲り受けるというものでした。
その上、その密約の内容が1898年の「パリ平和条約」でも批准され、独立は始めから形式的なものでしかなく、事実上はアメリカの統治下に再度置かれることになりました。
そしてそれはその後40年継続しました。

ジェットスキー 
苦難に継ぐ苦難

その後、アメリカの統治から脱し、真の独立を求める機運が起こり、ようやく自主統治を認めさせることに成功しました。

しかしそれもつかの間、第二次世界大戦が勃発し、日本軍が攻め入り、1942年マニラ陥落が陥落し日本軍の統治が始まりました。

ハナの飛び込み 
真の独立宣言

フィリピンの真の独立への歩みは、数度の独立機運の高まりがあったものの、大国の利害の間に翻弄されて果たせませんでした。
1945年太平洋戦争の終結にいたり、マッカーサーによるフィリピン独立宣言がされて、初めて終盤に達しました。

1946年、フィリピン共和国として自主独立の第一歩を踏み出し、初代大統領にロハスが就きました。

フィリピンのロード、地域、公園などは多くの人名がついています 


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